『バルタザールの遍歴』と『ミノタウロス』読んだ。

あまりにも男前な佐藤氏のブログを読んでいたら、急に読みたくなり注文。
先に『ミノタウロス』が来て、作図の合間、とゆーか、読書の合間に作図
てな感じで読了。で、うーん。と思っていたら、『バルタザールの遍歴』が
到着したので、また作図しつつ読み、なんとなく作図の方が終わっちゃった
ので、最後まで読んだ。
うーん。ながら読みはしたくなるが(=仕事が終わるまで待てないが)仕事
や睡眠時間を差し置いてまでの中毒性はなかったなあ。残念ながら。
圧倒的な知識ときらびやかな表現っつーんですか、退廃貴族の優雅な転落の
カタルシスというのはわからんでもないが、転落や不幸を暗示させる前振り
がコロコロ転がっている中、わかってて読み進むのはちょっとどうかと。
お話って、ご都合主義だけでは白けてしまうが、あまりにも反対方向に向かい
すぎるのもどうかと思うのだ。何を欲して読書するのか。ヘタレが落ちぶれて
行くところをワクワク楽しめるほどの加虐性は、生憎と自分にはなかった。
やっぱり読みながら『悪童日記』とか『我が手に拳銃を』(改題した方忘れた)
とか思い出した。確かに甘くなる部分を徹底的に排除するのは女性ならでは。
でもな、細部にはわくわくさせる要素があるんだよなー。何度も読み直して、
脳内変換して、するめのように楽しむという読み方もアリかもしれない。
『バルタザール』で上に行くほど貧困みたいな構図とか、『ミノタウロス』の
降って湧いた移動手段とか。
どっかの感想ブログで、なぜ題名が『バルタザール』なのか、みたいな指摘が
あったけど、それを考えると、『悪童日記』的な構造も考えられなくもないの
かな。と、思うと、最後にあの3人組は消えてるのだから、合流するまでの
まるっぽ、実は妄想でした、みたいな話だったら更に面白かったかもだ。
『五番目のサリー』みたいに収斂されて新たな道を歩き出すとか。
・・・という風にごちゃごちゃ考えながら繰り返して読むと、感想変わるかな。
しかし、自分は何を求めて小説を読むのだろうか。早く『ねじまき島』が読み
たいものだ。村上小説はなんとなくその穴を埋めてくれるところが凄いのだ。


読了順序が逆だったので『ミノタウロス』の事は言い足りなかったか。
間違いなく進化しておられるし、絶え間なく努力しておられるのはよく分かった。
ドイツ村の救いのなさは、圧倒的で、途中で暴力至上主義を理想としてしまった
主人公はバッドエンドに至るのは必然な訳で。その容赦なさはすごいです。
にしても、小説に何を求めるか、というところに帰結してしまうな。