『「雨の木」を聴く女たち』読了〜!

えーとですねえ、面白かったんですわ、これが。
例のごとく何の予備知識も持たず、(ノーベル賞作家でびびる程度の知識)
長編だと思っていたので、出鼻をくじかれて意気消沈してたのであるが。
実は「雨の木」をめぐる短編集であって、
最初の話は、あと数ページでオチに辿り着くような20ページ程度の
超短編であった訳です。
「俄雨」も、再度確認すると「馬聚」という、もっと高度な「ニワカ」であった訳で
読了後は自分のいーかげんさと、無責任な「東大卒+ノーベル賞」バイアスを
深く恥じた次第であります。


時系列的にも最初の話『頭のいい「雨の木」』で、くじけたので、
ぱらぱらと見て読みやすそうな最後の話『泳ぐ男ー水のなかの「雨の木」』を
次に読んで、うーん、これは内容だけとりだせば東野圭吾作品と言われても
納得しそうなナゾ解きばなし。しかもM字開脚。で縛り。
そこに「雨の木」の連作という位置づけと、作家自身の内省と、虚実のいりまじりが
非常に深い読後感。(一歩間違えると下世話な話だ。その差は何?)
そんで、前に戻って読んでみれば、残りの話も深く、面白いものでありました。


しかし東大卒というのは、そんなに重い十字架なんでしょーかね?
その権威を振りかざす事に生き甲斐を見いだす性質の人には有効なんだろーけど
この本を読んだ限りでは、大江氏のようなスタンスは、まるで殉教者のようで、
(実の父に子供の頃から頭の良いことを批判的にさとされるくだりは、厳しいっす)
あほである事の幸福をかみしめたり。


あと、核の脅威に関して。
この時代(昭和50年代後半)の知識層は水爆が近々落とされちゃうんだ、という認識が
共通項だったんでしょーか?
(どーせ水爆が落ちちゃうんだから強姦してしまえ、という超三段論法も。)
このごろの北朝鮮の動きを見ると、よっぽど今の方が危機感は上の気がするんですが。
まー、これを機に、未読だった『ヒロシマノート』を読んでみようかと。
我ながら「未読だったんかい!」とツッコミを入れたくなるなー。


という訳で、大江作品もおっかけ決定。
読書は楽しいなあ。時間はないけど。読書だけでも人生楽しいのになあ。