『万延元年のフットボール』読んだ。

ひー。小説というものを堪能させていただきまして余りあり。
ウィキベディアで「『万延元年のフットボール』以降、この作品を超えることが
できずにいるという評価が一般的である」とあるが、それほどまでの作品であることよ。
ほんまですよ。さすがノーベル賞受賞理由の作品。
60年安保をふまえて67年に群像に連載ののち、出版。これが連載小説ってレベル高すぎ。
書き下ろしではないのか。何なんだ、この構成は。
『雨の木』同様、推理小説としても読めるし、100年前の一揆と現在がリンクした
歴史小説としても読めるし、地方の閉鎖社会における民衆の話でもあるし、朝鮮人
問題としても読めるし。当時の学生運動の空気や、障害児を持つ夫婦の問題、兄弟の
確執、過食症や隠遁者、アル中。などなど。とにかくありとあらゆる要素が渾然一体で
お腹いっぱいでございます。
結局『個人的な体験』で解決されたかに見えた問題が、さらに深刻なかたちで延長されて
いるのが、冒頭で明かになり、しめつけられるような緊張感の中、最後までつっぱしって
しまう訳だ。まあ、救いのある読後感ではあるが、『個人的な体験』のような光明でなくて
うすぼんやりとした明かりが遠くに見える感じで。
しかし、なんとゆーか高学歴な人々(しかも田舎)の会話は一筋縄ではいかずに疲れるぜ。
特に妻。この頭の良い主人公に対して、完全に対等な、というか、ある意味身分は上だ。
弟との会話も腹の探り合いで、笑いながら侮辱したり、平気で策略を仕掛けられたり、
この辛辣すぎる関係は、一般家庭ではないから、八墓村とか奇子とか田舎のゆがんだ名士の
感じを思えば無理はないんだが。まあ、主人公の頑なさは、当主だから、ということか。
最初、「鷹四」「蜜三郎」という名前が変だ、と思ったが、まー、当て字としても、四男、
三男であるというわかりやすい名前なのだな、と。昔って何番目の子どもか、わかりやすい
名前だったのに、今はそんな名前のつけかたする人なんていなくなったなー、と思った。
あ、それと、とっても『屍鬼』の空気を思い出した。『屍鬼』をもっと濃密にした感じ。
そして「顔を赤く塗り、全裸で、きゅうりを尻の穴にさして首を吊って自殺」は、この小説。