創作と盗作。

今日の上沼恵美子の番組は、栗と豚の煮込みでした。うまそー!
とかいいながら、近所で買える栗の時期を逃してしまったような。
来年作ろ。この番組は、旨味調味料なしでできるレシピが多いので
応用が効くから参考になるです。


唐沢問題とか、ネットで話題になってるけど、池田理代子の問題は
寡聞にして知らなかった。ちょっとこれは、ネットがない時代なら
大新聞でコメント出して、権威的後ろ盾もつき、つかみはOK。てな
感じで、一部マニア雑誌で言及されるにしても、問題は大きくなら
なかったであろうが。ところがぎっちょん。今はネット社会なんで。
こーゆーネタには皆さん飛びつくよな。画像取り出して比較された
んぢゃ、言い訳できないしな。こういう部分に関しては、情報操作
とかできない仕組みだな。
唐沢問題はなんつーか、ネットでちょちょいとレポートを仕上げる
学生の感覚のレベルなのにきっちり記名記事にして原稿料稼いでる
って所に、怒りのボルテージが上がるポイントがあるような。
ぱくられるだけでも相当嫌だろうけど、さらにそれで稼がれると、
ちょっとなー。ネットに文章を出す、という事が、その時点で個人
著作権が希薄になるのか、保護されるのか、まだ曖昧な感じ。
原稿料をもらって記名して文章を作成していなければ、著作権
軽んじられるみたいな風潮もあるのかもなあ。
自分は匿名で自分の文章に誇りとか持ってないし。でもぱくられたら
嫌な気分になると思う。


では、なぜ盗作とかする事になるかというと、動機が自分の意見の
「発表」ではなく、「評価」になるところが原因ではないかと。
よく思い出すのが、スケバン刑事の海槌三姉妹の末っ子の事。
美術部の純子は、純情で引っ込み思案だが絵の才能に恵まれていて
海槌末っ子は、スター性と技術はあっても、才能がない事は自覚
していた。で、姉が言うのである。「あなたは評価されなくても
地道に良い絵を描き続ける画家になりたいの?それともスポット
ライトを浴びる華やかな女流画家として成功したいの?(大意)」
で、「もちろんスポットライトを浴びるスター画家よ!そのためなら
悪魔に魂を売るわ!(大意)」「ほーほほほ、それでこそ海槌の娘」
てな訳で、純子を幽閉して、描きためた絵も根こそぎ奪うのだ。
で、贋作して発表して、贋作して、って過程で、ある誤算があって
バレるのだ。この辺は、マジでこの頃のスケバン刑事って面白かった
のですよ。アニメでは妙なレイプシーンとか追加されてて、何じゃ
こりゃ?だったがの。


盗作とは違うのだが、発表の動機が「評価」に見えるという意味で、
イメージの流用で稼いでる某アーティストとか、好かんのう、と思う。
それはギャラリーフェイクのバイアスもあるかもだが。正直、作品自体
なぜ?と思うし。
んで、バッシングの強さは稼ぎ方に比例するように思うである。


発表の動機が「評価」だったと思われる(のでは?断定はいかんな。)
のが開放された時点で、才能が全開したチエコさんの例もあるし。
そして素晴らしい作品は残る。でもそれってすごく残酷に思う。
という訳で何か創作する動機ってのは大事なんぢゃないかと思うのだ。
・・・そして創作から逃げてる自分。しょうもないなあ。