もしかして。

どっかで、幸福と不幸は一生のうちで分量が決まってるとか聞いた事が
あったが。何かを得るには何かを失わないといけないのか。
西川峰子の離婚会見を見たのだが、この人をして全てを手に入れる事は
不可能だったのか、と思った。多分生半可な努力ではなかったと思う。
(まー、方向性が間違っていると力業ではどうしようもないのか。)
よく宗教とかでは喜捨したり奉仕したり、これは得るために失うことを
積極的にやってるのかなー。得て失うの可逆が実証されてないから宗教
なんだろーけど。
まー、願をかけて何かを断ったり悪魔と契約すんのも似たようなもんか。
振幅を広くすると、その分絶対値は増えるのかなあ。小市民的に一生を
送るのか、それなりの覚悟をして振幅を広げるのかは、本人の決断なんだ
ろーけど、人生をどう定義するかを未だに迷ってんじゃ、折り返しも過て
からぢゃ遅いのかなー。
や、得るために積極的に失うのは、実証されてんのか?試してみる価値は
あるんだろーか。うーむ。


オカザキ氏が、「幸福を疑う者は幸福になれない」と漫画の中では定義し
ておいて、後書きで「だって私は根っからの東京ガールだもーん」と断言
してみせたが、その後の展開を考えると得る物と失うものの関係を考えて
しまうのだ。
こういう事ってすぐに宗教寄りに振れてしまうが、そうじゃなくて深めて
いくってどーなん?でなければスピリチュアル系?
うにゃうにゃ。


はっ。「感謝」という要素を落としてはいかんかった。プラマイだけの
2元論ぢゃいかんのう。
おごれるものはひさしからず。
そして時間は皆平等。プラマイは結果論かもー。うーむ。